ポンコツですけどなにか?

ポンコツのポンコツによるポンコツのためのブログ♪

アーティストへの集中が難しいコンサート体験

吾輩はポンコツである。


前回、前々回と『女王蜂』のコンサートでの体験を書いてきたが、3回も続けて書いてしまうくらい、衝撃的で圧巻のパフォーマンスだった。

 

コンサートに行った後は、長女はもちろんのこと、嫁もしっかり『女王蜂の』ファンになって今では毎日その曲を聴いているのだそうだ。

 

もちろん自分も女王蜂にしっかり魅了されたワケであるが、コンサートという特殊な環境に慣れていないせいで、嫁や長女よりもアーティストに集中できなかったのは確かである。

 

そもそも初っ端から自分は間違っていたのだが、「コンサート=座って観るもの」という認識だったので、「ゆっくり鑑賞しよう」と思っていた。

 

ところが、幕が上がると同時に、観客は一斉に起立し始めるのである。

 

さながら、運動会のときの「国旗掲揚」のようである。

 

もれなく全員が起立するため、自分も周りに合わせてたたざるを得ないのだが、「国旗掲揚」の場合は“国旗が掲げられるまで”が起立タイムであり、掲げられたらまた元の「体育座り」に戻ることが許されていた。

 

しかし、このコンサートの場合は、体育座り(座ること)が許されることは遂になかったのだ。

 

まぁ、立って聴くのはよしとしよう。

 

自分もまだ最後まで立ち続ける体力はあるし。

 

 

しかし、コンサート慣れしていない自分のような人間にとっては、この起立した後が問題なのである。

 

それが、「両手をどうするか問題」である。

 

コンサートに慣れている人や、行ったことがない人にとってはこの問題がどういうことを意味しているのかさっぱりわからないのも全く不思議ではない。

 

しかし、経験した人間だからこそわかる「問題」が、確かにそこには存在するのである。

 

説明しよう、この「両手をどうするか問題」とは、「起立した状態で宙ぶらりんになっている両手を、どう動かすか」という問題なのである。

 

この『女王蜂』の気合の入っているファンには、「ジュリ扇」と呼ばれるふわふわのバブリーな時代の遺品を用いて応援するスタイルが定着しており、長女もコンサートまでに念願の「ジュリ扇」をゲットして意気揚々と当日に臨んでいた。

 

 

この「ジュリ扇」を持っている人たちの見事な“ジュリ扇さばき”が会場の一体感をますます増幅する役割を担っていた。

 

ステージのアーティストからファンに向け、レーザービームのようにビシバシ放たれる“オーラ”に対し、ファンは「ファサッ。ファサッ。」と優しい風とカラフルなゆらめきで応えるのである。

 

「ジュリ扇」を持参している気合の入っているファンは、そのようにコンサートを楽しむのであるが、初めてコンサートに参加する自分たちのような人や、「ジュリ扇」をまだ入手していないファンは、ジュリ扇の代わりに思い思いの方法でその場のノリに身をまかすことになる。

 

そこで、コンサート初心者に突きつけられる。

 

「君たちはどうノるのか」と。

 

ジュリ扇を持っていないくても、自然と音楽にノッテている人たちも大勢いるのだが(嫁もその部類に属する)、自分のような「初心者です!」感まる出しの人は皆一様に「両手をどうするか問題」にぶち当たるのである。

 

上手くノッテいる人たちは、両手を宙に掲げてゆらゆら前後に揺さぶっているのであるが、初心者にとってはこの両手をあげる(あるいは片手の場合もある)という行為にすらハードルを感じてしまうのである。

空中に手を上げた人々の群衆

 

同じ“手をあげる”でも、拳を上に突き出して

「オイッ!オイッ!」

みたいなノリだったらノリやすいのだが、手のひらを“パー”の状態で「虚空に手を漂わす」タイプのノリにはなぜだか抵抗を感じてしまうのだ。

 

ジェットコースターに乗って両手をあげられる人と、そうでない人の違いのようなものが、まさか全く環境の違うコンサートにもあるなんて知らなかった。

 

ちなみに、なぜ両手をふわふわさせることに抵抗を感じるのかというと、単純明快な答えが

「意味がわからないから」

である。

 

いちいちコンサートのノリに「意味」を求めることがポンコツらしい、めんどくさい性格であることは自覚しているが、自分のように上手くノレていない人間も同じように両手をぷらぷらさせることに「意味」を求めているのはまず間違いないだろう。

 

前述した拳を突き上げるタイプのノリの場合は、

「オイっ(賛同っ)!オイッ(同意っ)!オイっ(共感っ)!オイッ(協力っ)!」

的な意味であろう。

 

このように概ね「私はアーティストに味方します!」といった意味合いで、皆拳を突き上げるのだと思う。

 

それに対し、この両手をふわふわさせることの「意味」とは一体何なのだろう。

 

結局そんなことを考えながら周りを見渡すと、自分のような年代の男性にこのように「両手をどうするか問題」に悩まされている患者が多いことがよくわかるのである。

 

そしてお互い、そのような人同士で共感し、「両手をどうするか問題」に頭を悩ましているのがこの地球上に1人ではなかったことに安心するのだ。

 

1人じゃないって素晴らしい。

 

 

 

ちなみに自分がこの「両手をどうするか問題」に対して出した答えは“手拍子をする”という、何とも無難でオチのない答えを選択したことを報告しておく。

 

 

 

とまぁ、長々とコンサートで上手くノレないアラフォー男の嘆きを書き連ねて、もう思い残すこともないので、自分の『女王蜂』コンサート体験記はこれにて終了とさせていただこう。

 

 

今日はここまで。