ポンコツですけどなにか?

ポンコツのポンコツによるポンコツのためのブログ♪

出張マスターへの道

吾輩はポンコツである。

 

以前、「4月から“出張”がメインの働き方になる」といった内容の記事を書いたが、4月の後半に入ってようやく記念すべき初出張を迎えた。

 

宿泊するホテルは清潔感もあり、かなり快適だ。

 

いつもは家に帰ると5人家族ならではの心温まる“騒音”に囲まれているのだが、一人で宿泊するホテルはもちろん静かで落ち着く。

 

ひとり時間をしっかり満喫しようと本なども持ってきたが、ここで不思議なことに気付く。

 

「あれ?時間が過ぎるの早くない?!」

 

一人で集中できる環境のせいか、あろうことか仕事ばかりしてしまっている。

なんてこった💦

いつもなら寝る時間に差し掛かっている💦

 

これじゃあ「ひとり時間」を満喫なんてできないじゃ〜ん💦

 

思い返してみると、自分は会社から帰っても大体仕事をしている。

 

普通、これだけ仕事に向き合っていると大成しそうなものだが、自分の場合はいつまでたってもポンコツのままなのだ。(笑)

 

しかし、出張先のホテルでもいつものように仕事をしていると、集中しすぎて今まで以上に疲れてしまいそうな気がする。

 

いつもは子どもたちからの

「とうやん!床田(カープのピッチャー)がまたヒット打ったよ!(笑)」

(※床田の今年の目標は「ホームランを打つ」ことであり、息子は猛烈に応援している)

とか

「学校で新しい友達ができた!」

などといったふうに、仕事に集中しがちな自分に対して程よく集中を分散させてくれる天使たちがいるおかげで、知らず知らずのうちに疲労が蓄積されない環境ができていたのだ。
(※そのおかげで仕事は捗らないのだが・・・。)

 

ひとり時間を与えられたことで“自分の性質”と、子どもたちの“健康サポート”という役割を初めて認識することができた。

 

人間、集中し過ぎるとどこかに無理が生じてしまう。

 

大抵の人は、多少無理がきても3ヶ月くらいは気合いで頑張れてしまうらく、それ以降も頑張り続けてしまうとそれまでの無理が祟って“うつ病”を発症したり、身体に異変が起きたりするそうだ。

 

自分の場合、今後の出張ライフを元気で楽しいものにするためにも、努力して息抜きをする必要がありそうだ。

 

まぁ、まずは出張初日なので、これからしっかりと「出張マスター」になるべくひとり時間の有効活用法なども考えていこうと思う。

 

 

今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

技術革新と倫理観:生と死を超えるAI

吾輩はポンコツである。

 

先日、X(旧ツイッター)上で偶然見つけた投稿を見て、「ああ。ついにこの時が来たか」と感じることがあった。

 

その投稿というのがこちらだ👇

 

 

「亡くなった人をAIで甦らせる」

 

このニュースを見て、平野啓一郎さんの『本心』という本を思い出した。

この本は個人的には結構好きな本で、今回のニュースのように考えさせられることが多い。

 

近未来の日本が舞台となっており、シングルマザーである母親を失った主人公は「VF」(バーチャルフィギュア)という形で母親を蘇らせるのだ。

 

小説だけあって、今回の「AI画像で故人を蘇らせる」よりも、技術的に少し先を行っている印象だ。

 

少し先を行っているからこそ、蘇った後の「本物ではない母親とのやりとり」や、蘇った母親が「バーチャル空間上で仕事をし、お金を稼ぎはじめる」などといった話も出てきて、本当に近い将来に実現しそうな話なので大変興味深い。

 

この他、「尊厳死」や「格差社会」などについても重要なテーマとして描かれており、少子高齢化や貧富の格差に悩まされる日本においては、今後、これらの議論は必ず避けては通れないであろうと考えさせられる。

 

ここからは「尊厳死」にフォーカスを当てて話を進めていきたいと思う。

重たいテーマになるので、こういったテーマの話を読むのが辛い方は今日はここまでで読むことをストップすることをお勧めする。

 

 

 

さて、資本主義社会というゲームのルールにおいて、「お金を多く稼いだ者=勝者」という認識でこのゲームに参加している多くの人にとっては、「お金を稼げない者=敗者」ということになってしまう。

しかも「敗者」になっても「ゲームオーバー」ではないところがこのゲームのいやらしいところだ。

 

自分のようなポンコツ人間は「敗者」であることを受け入れながら、前を向いて歩く「タフさ」があるからなんとか生きていられるが、その「タフさ」や世間の目や評判が気になる多くの人にとっては、さながら“生き地獄”のような世界を味わうことになってしまう。

 

また、自分自身にはタフさがあっても、「自分が生きていること」そのものが「コスト」

となる場合もある。

家族や子どもたちに残す財産がない場合、自分が生きているだけコストがかかり続けることになり、迷惑をかけ続けてしまうこの状態を自分が死ぬことで早く損切りしたいと考える人もいる。

その気持ちも痛いほどわかるし、そのような選択をした人のドキュメンタリーなどを見ると、とてもやるせない気持ちになる。

 

ただ、「自殺(自死)」をするにしても、その後、残された遺族の精神的な苦しみや、世間からの「自殺をした家族の人」という目や評判に苦しめられるという話も聞く。

日本に生まれた時点で強制的に「資本主義ゲーム」に参加させられているのに、なぜ、合法的に「途中でやめる出口」が用意されていないのか不公平に感じる。

 

また、個人的には「自分の子ども」と言えど、「自分とは異なる命」を妊娠・中絶によってコントロールする権利が認められているのに、「自分自身の命」を「安楽死」によって終わらせることが認められていないことにも違和感を覚える。

 

世界に目を向けてみると、積極的安楽死が合法化されているのはオランダ、ルクセンブルク、ベルギー、カナダ、コロンビア、スペインなどがある。

 

日本では今の所「安楽死」が認められていないが、「少子高齢化」という問題と資本主義による「格差の拡大」によって、“持たざる者”はますます生きにくい世の中になってしまうことだろう。

 

宗教アレルギーのような状態の日本人にとって、宗教の代わりに信じられているものが“お金”と“法律”である。

日本人の親が子どもに「人様に迷惑をかけないように生きて欲しい」と願うのも、言い換えれば「法律を犯さないように生きて欲しい」ということになる。

これを「“法律教”の“戒律”を犯さないように生きて欲しい」と表現しても違和感はない。

 

ただ、いずれも宗教と同じく“人間が生み出したもの”であり、人間といえばポンコツな生き物である。

というわけで、そんな人間が作り上げた「法律」もポンコツであるからこそ、時代や地域にそぐわないものが生じてしまう。

だからこそアップデートをし続けなければいけないのだが、日本では「法律を疑うこと」が「神の存在を疑うこと」のようにタブー視されているのではないだろうか。

 

 

まとまりのない話になってしまったが、長くなってしまったのでここら辺で終わりにしようと思う。

 

いずれにせよAIの登場により、今までの倫理観の枠外で判断を迫られる機会が増えてくることが予想される。

そのような時に自分がどのような判断を下すのか、まずは自分自身を知る努力を普段から怠らないようにしておきたい。

 

 

今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空気を読む大人と、ポンコツの哲学


吾輩はポンコツである。

 

今回は、古代ギリシャの天才中の天才である「アリストテレス」の名言を紹介したい。

 

今回紹介する名言はこちら👇

批判を避けたいのであれば、何もせず、何も言わず、何者にもなるべきではない
アリストテレス(紀元前384年~紀元前322年)

くぅ〜!!!

かっこいいっす!アリストテレス先輩っ!!

 

実際には、世の中こんな大人で溢れている。

それを日本では「空気を読む」とか「大人になる」などと表現し、「何もしていない(何も言わない)ことを正当化しようとする文化が出来上がっている」といっても差し支えないだろう。

そして、そのような人間(上から言われたことを実行するだけの人間)や、権力者の“とりまき”の様な人間が評価され易いのも、日本社会の特徴かもしれない。

 

 

では、そんな日本において、このアリストテレスの言葉の逆の行動をした場合、何ができあがるだろうか?

 

そう、それがポンコツ社員(人間)」なのである。

 

試しに、本日の名言の逆を考えてみると、以下のようになる👇

批判を恐れない者は、まず行動し、自分の意思表示をすることで、ポンコツ人間になれる(なってしまう)

(※ただし、一部の天才を除く)

byポンコツ社員

 

さすがは“キングオブ天才”のアリストテレス先輩だ。

アリストテレス先輩は、上手く社会人生活を効率良く生き抜くための“処世術”としてこの言葉を後世の私たちに残してくれていたのだ!!

 

それなのに自分ときたら、ポンコツ人間への道を一直線に最短最速で進んできてしまっていたのだ・・・。

 

愚かなるポンコツ人間。

 

 

 

 

な〜んて卑屈になるわけがない。

アリストテレス先輩は、自分の様なポンコツ人間にも優しいのである!

 

アリストテレス先輩は、人間にとっての究極の目的は「幸福に生きること」としており、その目的を果たすために重要なのが「中庸の徳」だとしている。

この「中庸」というのは「どちらにも転ばない」「過不足ない状態」といった意味であり、儒教や仏教(仏教では“中道”という)にも似たような教えがある。

 

本日の名言にしてみても、「批判を避けたいのであれば、何もせず、何も言わず、何者にもなるべきではない」という言葉をそのままの意味で受け取るだけではあまりにも物足りない。

かといって、その逆を行って自分のようなポンコツ人間になってしまうのもよろしくない。

 

そう、重要なのはバランスなのである。

 

「さすがはアリストテレス先輩!無難なとこ突いてきますね!笑」

 

なんて言おうものなら

「お前は何もわかっておらん!」

なんて怒られそうな気もするが、そもそも天才の考えなんてポンコツ人間が正しく理解できるわけないのである。

 

要するに、

「自分の意思を持って、自己表現しながら特別な存在になろうとするならば、それ相応の“リスクを負う覚悟”を持ちんさいよ!」

ということなのだろうと思う。

 

自分は「中庸」なんて生き方は、今のところ全く出来そうな気がしない。

もうちょっと歳をとって気力と体力が失われてきたら自然と「中庸」な生き方ができるようになっていくのかもしれないが。

 

なので、しっかりとポンコツ社員としてこれからも生きていくことこそが、自分にとっての「幸福に生きる」という目的への最適解なのだと信じたい。

 

「せっかくワシが効率良く生きるヒントを教えてやったのに・・・。」

と、アリストテレス先輩には呆れられているだろうが、これからもその時その時の解釈で過去の偉人たちの名言を独自に解釈し、楽しみながら学んでいきたいと思う。

 

 

今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

読書記録:『社員がやる気をなくす瞬間 間違いだらけの職場づくり』


吾輩はポンコツである。

 

今回もまた「4月に読んだ本」の読書記録である。

 

それでは早速、記録を残していこう。

 

今回は読んだ本はこちら👇

 

部下やチームメンバーがやる気をなくさず、高いパフォーマンスを出すために、
リーダーはなにをしたらいいか? 組織としてなにができるのか?
職場はどのようになったら良いのか?

10万人以上の方から話をきき、かつ700を超える職場で、
1万を超える働く人のキャリアコーチングを通して導き出された方法論を大公開!

入社したときはやる気がみなぎっていた人が、
あることを機に、やる気をなくしていく。

そのきっかけは、リーダーや周りの些細な言動によって
もたらされることがほとんどです。
そして、
自らも、そのきっかけになっているということに、
多くの人たちは気づいていません。

<中略>

ここで、1つの質問をしたいと思います。
これは、あなたがリーダーとして
部下の「やる気を削いでいないか」を計る質問です。

(質問)
あなたは部下の、
人生、キャリアに、どの様にかかわってきたか、
自信をもって答えられますか?
(建前ではなく、本音のキャリアです)


この質問に自信を持って回答できなかった場合、
あなたと部下の関係性は、50%の確率で、
良好とはいえません。

Amazonの商品説明欄より一部引用)

 

昨今では「終身雇用」という雇用スタイルを維持できなくなってきた企業が増えてきており、巷では「終身雇用の崩壊」という言葉を聞くことが多くなってきた。

 

終身雇用で逃げ切れる世代と、そうでない世代が混ざり合っているのが現在の日本企業の大半だろう。

 

そんな中、昔ながらの「会社(職場)=働く場所」という考え方から抜け出せない企業は、人材難に陥ってしまうことが容易に予想できるし、実際に若手社員が定着せずに、企業内で高齢化が進んでしまっている会社は多いのではないだろうか。

 

定着しない若手を「根性がない」なんて言っている会社はとても危険だ。

 

本書では「会社(職場)=働く場所」という考え方から、

「会社(職場)=仕事を通じてキャリア成長する場所」

という、時代の変化とともに企業の役割や在り方が大きく変わっていることを教えてくれる。

 

特にこの考え方は“終身雇用を前提としていない世代”からするともう普通の考え方になっている。

 

若手社員は、「この会社にいて自分の市場価値を下げてしまわないか?」「なんのスキルも身に付かず、ただ歳をとって転職すらできなくなるのでは?」というキャリア不安を抱えて離職するケースが増えている。

 

人材難に悩む多くの会社はそれに気づいておらず「ゴチャゴチャ言うな!言われたことだけやれ!」という「会社優位」の考え方から抜け出せていない。

 

本書ではそういった凝り固まった昔ながらの「会社優位」の考え方に“ガツん”と思い一撃を与える一冊である。

 

「若手が定着しない」「社員のモチベーションが上がらない」と悩んでいる会社の経営者やマネジメント層には必読の書と言えるだろう。

 

また、働いていて「やる気が出ない」と感じる社員にとっては、本書を読むことでその原因の所在をはっきりとさせることができるかもしれない。

そうすることで今後の対処法を考えることができるようになるので、会社で働くことに悩みを感じているあらゆる層の人におすすめの一冊である。

 

 

 

 

 

今週のお題「外でしたいこと」


吾輩はポンコツである。

 

今回は久しぶりに「はてなブログ」の『今週のお題』というものに沿って書いてみようと思う。

 

そう、特に書くことがないのだ。

 

というわけで、気になる今週のお題はコチラ↓

 

今週のお題「外でしたいこと」

 

「外でしたいこと」ということだが、この場合

「大抵の場合は屋内ですることが多いけど、あえて外でしてみたいことはなんですか?」

ということで考えてみたい。

 

そう考えると、食事は大抵の場合、屋内で行うことが多い。

なので、ピクニックや遠足など外で食べるお弁当は特別な感じがして楽しい。

また、調理から外で行うBBQなんかも、

「昼間から外で飲むビール最高ぉおお!」

などと言って盛り上がる。

 

他にも、普段屋内で行うことの代表格は「入浴」だろう。

これも、「露天風呂」という外気に触れながら入浴するスタイルも乙であり、楽しいものである。

 

このように人間という生き物は、普段は家(屋内)で行っていることを屋外で行えば、それだけで特別感が増して楽しめる性質を持っているのかもしれない。

 

では「トイレ」はどうだろう?

男性の場合、「小」の方は開放感があって気持ちが良いかもしれない。

自分も、高い崖の上から「小」を行ってみたいという隠れた願望があるが、これは男性なら共感してくれる人は多いと思う。

 

ただ、「大」の方は話が別だ。

「野グソ」ができる人はもうそれだけで大物だ。

自分は小心者だからなのか、開放感がある中で野グソを盛大にかますなんて強メンタルは持っていないし、全く落ち着かないので出るものも出なくなりそうな気がする。

アウトドアの上級者たちは当たり前のように「野グソ」の上級者でもある。

自分はそういう意味では生粋のアウトドア派の人間ではないことがわかる。

 

この他にも家(屋内)で行うことを探してみると、ゲームやテレビ、睡眠なんかもそうだろう。

 

そう考えると、近所の子どもたちが公園に集まってゲームをしていたりするのも、親から

「ゲームばっかりしてないで、子どもらしく外で遊んできんさいや!」

と家から追い出されたわけでなく、子どもたちが自主的に

「日光を浴びながらするゲーム最高ぉおおお!」

と、彼らなりにアウトドア気分を味わっているのかもしれない。

 

さて、自分の場合はというと、普段屋内で行っていることといえば、「仕事」や「読書」だろう。

 

というわけで、自分の「外でしたいこと」はこれだ↓

「キレイな海の見える島で“ハンモック”に揺られながら、木陰でゆっくり読書とか昼寝とかしたい」

である。

 

子どもや家族たちは

「お父さん、また寝とるー!」

とか言いながら、海や砂浜で遊び、

なんとなくお腹が空いてきた頃合いで

「みんなー!カレーができたよー!」

という嫁の声とカレーの匂いが届く。

ああ、なんて最高なんだろう。

 

こんな妄想をしていたら、以前読んだ本の内容を思い出したので、ネットで探したものを記載しておく。

 

南の島の田舎町。
漁師が小さな網に魚を釣ってきた。
それを見たアメリカ人の旅人と漁師との対話です。

旅人「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」

漁師「2時間くらいかな」

旅人「もっと長時間、漁をすれば、もっと魚が獲れたのに。惜しいね」

漁師「自分たち家族が食べるには、これで十分だから」

旅人「それじゃあ、余った時間は何をしているの」

漁師「ゆっくり起きて漁に出る。戻ってきたら子供たちと遊んで、女房と昼寝して。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌を歌って。こんな感じの一日だね」

旅人はまじめな顔で
「MBAを取得した人間として、君にアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
それで、余った魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。
そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら魚を卸業者に売るのはやめよう。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を納める。
その頃には君はこの小さな村を出て都市に引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
君はマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ。」

漁師「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

旅人「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」

漁師「それからどうなるの」

旅人「それから? そのときは本当に凄いことになるよ」

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

漁師「それで?」

旅人「そしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、朝はゆっくり起きて、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんと昼寝して過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。素晴らしいだろう」

漁師「・・・・・今の生活と同じ・・・」


(引用元「南の島の漁師・遊んで暮らすのは幸せか?」)

 

なかなか示唆に富んだ話ではないだろうか。

 

ある本によると、人間は「幸せになる」のではなく、「既に幸せ」なのだそうだ。

 

これに関しては長くなるのでここでは書かないが、要するに「幸せ」というものは意外と近くにあるものなのだ。

家から外に出るだけでも幸せを感じられる感性を持ち続けていたい(もちろん家の中でも幸せである)ものである。

 

 

今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

読書記録:『ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者 塚本幸一』


吾輩はポンコツである。

 

今回は4月に読んだ本(2冊目)の読書記録である。

 

それでは早速、記録を残していこう。

 

今回は読んだ本はこちら👇

 

世界有数の女性下着メーカーとして知られるワコールの創業者、塚本幸一。彼は太平洋戦争の激戦の中でもとりわけ悲惨なものとして知られるインパール作戦の生き残りであり、失った戦友たちへの思いを胸に、再びビジネスという名の戦場へと向かっていく。ベンチャースピリット溢れる豪快華麗な生涯を描きだす大型評伝である。
Amazonの商品説明欄より一部引用)
 
まず、なぜこの本を選んだかというと、ズバリ「タイトルに惹かれたから」である!
 
一見、“ブラジャー”と“天下をとる”という言葉は共存し得ない組み合わせのような気もするが、今回はまさにそのギャップに惹かれたのだ。
 
“ブラジャー”と聞くと、どうしてもスケベな連想をしてしまうところがポンコツの悲しい性なのではあるが、この本の主人公である「塚本幸一」はそんな浮ついたところは微塵も感じさせない、まさに“男の中の男”だった。
 
そもそも、太平洋戦争の中でもとりわけ無謀で悲惨な作戦が実行された「インパール作戦」から“奇跡的に生還した”というだけでも一冊本が書ける程のインパクトがあるのだ。
しかも、その生き残りの兵士がポンコツの自分ですら知っている「ワコール」を創業し、世界と戦っていたというのだから、これはもう面白くないわけがない。
 
また、松下幸之助稲盛和夫などといった、日本のビジネス会のカリスマ(もはや神様)達も登場するところがまた胸熱なところである。
 
個人的には『海賊と呼ばれた男』のモデルとなった「出光佐三」のインパクトが強く、また改めて『海賊と呼ばれた男』を読み直したくなった。
こちらの本も非常に面白いので、読まれたことがない方はぜひ読んでみて欲しい👇
 


「社員を信じる」という姿勢こそ、今の日本企業が学ぶべきところだと強く感じた。
ただ、「社員を信じる」のではなく、「これで社員に裏切られたら、それはもう仕方がない」と思える程に、まずは会社が社員に誠意を持って対応することが肝心なのだと学んだ。
 
また、本書の中には度々“近江商人”という言葉が出てくるのだが、「塚本幸一」氏のルーツがこの近江商人という集団とのことだった。
近江商人という言葉はなんとなく聞いたことがあるような気がするが、今まで全く知る機会がなかった。
簡単に調べてみたところ、「三方よし(売り手によし、買い手によし、世間によ)し」という、この超有名な言葉こそ近江商人の経営理念を表したものなのだそうだ。
滋賀大学宇佐美名誉教授によれば、「『売り手によし、買い手によし、世間によし』を示す『三方よし』という表現は、近江商人の経営理念を表現するために後世に作られたものであるが、そのルーツは初代伊藤忠兵衛が近江商人の先達に対する尊敬の思いを込めて発した『商売は菩薩の業(行)、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの』という言葉にあると考えられる。」とのことである。自らの利益のみを追求することをよしとせず、社会の幸せを願う「三方よし」の精神は、現代のCSRにつながるものとして、伊藤忠をはじめ、多くの企業の経営理念の根幹となっている。
 
こちらも、現在の私たちが学ぶ意義のある教えだと強く感じるので、近いうちに近江商人に関する本も探して読んでみようと思う。
 
これは本書には書かれていないことだが、現在、ワコールは24年3月期の連結最終損益で2期連続の赤字を見込み、希望退職者が想定を上回るほど殺到するなど、大変な苦境に立たされている。
ワコールが強みとする量販店や地方百貨店の閉鎖が相次ぎ、販売基盤が失われていったことや、ユニクロの「ブラトップ」などの低価格で使い勝手の良い商品に市場を奪われていることが要因のようだ。
日本を代表して世界と戦ってきたワコールが、現在の厳しい状況をどのように戦っていくのか、今後のワコールの動きにも注目していきたい。
 
 
今日はここまで。
 
 
 
 
 
 
 
 

子どもの入学式で考えた、親が行動することの大切さ


吾輩はポンコツである。

 

昨日から無事に長女は中学生になり、末っ子は小学生になった。

 

子どもというものは、本当に勝手に育っていく。

親が親としてしてやれることなんて、ほんの僅かでしかない。

 

子どもへ伝えたいことは、言葉で伝えることも大事だが、それ以上に背中(行動)で伝えることが大事だと思う。

“言行不一致”の場合、これは大人でも同じことだが、その人のことを“口だけの人”と認識してまともに話を聞いてもらえなくなる。

これは、企業においても同様で、立派な社是や社訓、企業理念やパーパスといったものを掲げている会社が、実際には自分たちの利益のことだけ考えてお客さんに損をさせているような会社は、世間からいずれ見向きもされなくなる。

 

ほとんどの人は多かれ少なかれ「言っていること」と「やっていること」は違います。この場合、主に「言っていること」というのは「自分が見ている世界」のことで、「やっていること」というのは「他人から見えている世界」のことです。つまり、自分が見えている世界と他人が見えている世界は通常大きく異なっているのです。
(『メタ思考トレーニング 発想力が飛躍的にアップする34問』より引用)

 

つまり、

「勉強しなさい」

と口で言うだけではなく、大人が勉強している姿を見せる必要がある。

 

「こうした方がいいよ」

と言うだけでなく、自分もそれをやってみる。

自分がやってみてから「やっぱりこうした方が全然いいわ!」と伝えると、子どもも

「じゃあやってみようかな」

と思ってくれるのではないだろうか。

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
山本五十六

 

これから、子どもが成長していく上で、今までは「親=絶対の存在」に近いような世界観で生きてきたのが、これからはどんどん世界が広がっていくことで親の“良い面”と“至らない点”がはっきりと見えてくるようになるだろう。

 

自分がこのブログ「ポンコツですけどなにか?」を始めたとき、長女は「お父さんはポンコツじゃないでしょ!」と言ってくれたものだが、これからもポンコツなりに努力している姿や、ポンコツでも人生を幸福に生きられる姿を子どもたちに見せることで、

「お父さんはポンコツだけど、いつも頑張っとって尊敬する!好きっ!」

と言ってもらえる関係でありたいと思う。

 

また、上で山本五十六の言葉を紹介したが、続く言葉を紹介して今日は終わろうと思う。

 

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

山本五十六

 

本当にその通りだと思う。

国が「リスキリング」や「副業」を推進しているのに、いまだに「副業」を解禁をしていなかったり、「在宅ワーク」を認めない企業などは、社員への感謝や信頼が足りない企業なのだと思われても仕方がないのではないだろうか。

 

企業や組織を変えることは難しいが、父親である自分がマネジメントする最小の単位である“家庭”においては

自分が行動で示し、できるところまで見守って、そして褒めてやる。

また、相手の考えを聞き、その考えを尊重し、感謝と信頼を忘れない。

そのようなチーム(家族)でいられるようにしたい。

 

 

そんなことを子どもたちの入学式に参加しながらぼんやり考えていたのだった。

 

 

 

今日はここまで。