ポンコツですけどなにか?

ポンコツのポンコツによるポンコツのためのブログ♪

失敗を恥じず突き進むポンコツ人生

吾輩はポンコツである。

 

自分は「ぽんこつ」という響きには、
「あいつダメなヤツなんだけど、なぜか憎めないんだよなぁ〜!」
的な、どこか“愛されキャラ”のようなニュアンスを感じるのだが、世間一般的にはそうではないのだろうか?

 

というのも、自分が嫁に「ブログ始めたぴょん♪」とごきげんに報告したところ、「え〜!どんなブログなん?」
と聞かれたので、
「『ポンコツですけどなにか?』って名前のお気楽ブログにしました!」
と伝えると

「そんな・・・ポンコツだなんて・・・全然そんなことないのに、なんでそんなタイトルにしたん?」

と、結構な感じでショックを受けた様子だったのだ。

 

確かに自分は基本的にいつも前向きでポジティブなタイプの人間なので、そういった人間が「ポンコツ」と名乗りはじめたことに強烈な違和感を感じてもおかしくはないのかもしれない。

 

なので「別にネガティブな意味でつけたわけじゃなくて・・・」とこちらが焦って弁明をしなければいけなくなったのだが、何はともあれ有難いことにうちの嫁は自分のことを過大に評価してくれているのである。

 

 

さて、ここからはなぜ自分が「ポンコツ」を名乗ろうという気持ちになったのかを語っていこうと思うのだが、これには2人の影響を受けている。

 

その2人とは、あの「無知の知(知覚)」で有名なソクラテスと、もう1人は私の憧れるおじいちゃんの出口治明さんである。

 

ソクラテスは誰でも名前ぐらいは聞いたことがあるくらいの有名人なので説明もいらないと思うが、出口さんに関してはご存知ない方も多いと思う。

 

ここではごく簡単に「ライフネット生命」の創業者であり、現在は「立命館アジア太平洋大学」の学長をされている方であると説明しておく。

 

肩書を見ると「凄い人だ」と思うかもしれないが(確かに凄い人なのだが)、この方の著書からはいつも「気取っていない」「肩の力が抜けた自然体の人間」といった雰囲気が伝わってきて、凡人の自分にとっても大変わかりやすく、そして楽しく読めるのである。

 

そういう出口さんの著書に触れているたび、「洒落た人だなぁ」と感心してしまうし、何を隠そう自分の目指す「面白い人間」のモデルの1人は確実にこの出口さんなのだ。

 

 

そんな出口さんが私たち「人間」を表すときによく使う表現がある。

それが、
「人間はみなチョボチョボや」

というものである。

(※ちなみにこれは出口さんが学生時代に愛読した作家の「小田実」氏の言葉。)

 

この表現について出口さんは以下のように語っている👇

人間はたいして賢い奴もアホな奴もいない。人間の能力にはたいした差はない。この言葉が、とても好きで、今でも機会があれば人に話しています。たしかに、人間の正規分布図を描いてみると、極端に優れた人や極端に劣った人はほとんどいないことがよくわかります。
(出典:『「働き方」の教科書』~「無敵の50代」になるための仕事と人生の基本~ 出口治明著)

 

出口さん曰く、人間の能力は皆“チョボチョボ”であり、訪れるチャンスもまた“チョボチョボ”なのだそうだ。

そのチャンスにしても、99パーセントは失敗する。

しかし歴史を変えてきた偉人と言われるような人たちは、「失敗するとわかっていても、1パーセントの可能性をめざしてチャレンジした人」であり、そのような人たちがいたからこそ今の世界があるとも説かれており、「世界を変えるためには、失敗を恐れずチャレンジすべし」と凡人の自分にも背中を押してくれているような気持ちになる。

 

日本人は過剰に失敗を恐れる傾向があり、また日本社会も失敗を許容するようにできていないのが実情である。

そんな中で「チャレンジしろ」と言われても、なかなか「やりまーす!」と飛び込むメンタルにはなりにくいとは思うが、出口さんのこの「人間チョボチョボ論」を頭の片隅に置いておくことで、「人間なんてどうせ皆同じようなポンコツである」と開き直ることができるのではないだろうか。

少なくとも自分はこの考えをインストールすることで、過剰に人に謙ることもなく、また、自分の力量以上に自分を大きく見せようとすることも無くなった。

 

 

そろそろ長男との「早朝ランニング」の時間が迫ってきたので無理やりまとめるが、要するに自ら「ポンコツ」と名乗ることで、「挑戦しやすく失敗しやすい」土壌を作ることができ、それゆえこのような誰が見るかもわからないネット上に恥ずかしげも無く自分の考えをつらつら述べることができるのである。

パーフェクトな人間なんていない。

というわけで自信を持って本日もポンコツ街道を突き進むのである。

 

 

今日はここまで。