吾輩はポンコツである。
今更言うまでもないことだが、「AI」の進化には目を見張るものがある。
毎日何かしら
「こんなことができるようになりました!」
「こんなことも可能になるなんて!もう〇〇の仕事はなくなる!」
みたいな情報がわんさか出てきている。
もう、最新の情報を追いかけるのが大変なくらいだ。
自分のようなポンコツにとっては、「AI」が自分にない能力を補ってくれたり、作業の効率化ができるので積極的に活用している。
これからますます「AI」は進化していくのだろうし、それに伴い、人間にとって「AI」はなくてはならないものになっていくのだろう。
誰もが「AI」に簡単に物事を依頼したり、質問を投げかけたりすると、そこには“正解らしきもの”が生成される。
例えば、好きな子とLINEをするとき
「好きな子からのこんなLINEが来たんだけど、相手に好感を持たれるような返信を考えて!」
といった使い方や
「〇〇会社の採用面接を受けるんだけど、自分のことを欲しい人材だと思わせるにはどうしたらいい?」
といった使い方もできる。
皆がこのような使い方をするような世界になったとき、それはそれはつまらない世界になってしまうことだろう。
あの「ひろゆき」でさえも
「それってあなたの感想ですよね?え?!ああ、AIですか。」
と、歯切れが悪くなってしまうだろう。
自らの意見を持たず、AIによって作られた“正解らしきもの”に支配された世界。
今まで不器用な人間が長い時間をかけて積み上げてきた倫理観や価値観が、スマートなAIによって簡単に置き換わる可能性がある。
自分は人間が好きだ。
なぜならば、人間は“ポンコツ”だからだ。
歴史上に出てくる偉人でも、歴史に名を残す偉大な功績にスポットライトを当てがちだが、それ以外ではかなりのダメダメ人間だったということが多々ある。
でも、それを含めて「人間は面白い」し、だからこそ「愛おしい」のだ。
これから、日本が教育で育ててきた“秀才型”の人間は、AIによって必要がなくなってしまうだろう。
これから必要になってくるのは、圧倒的に“人間的な魅力”だと思う。
自分の頭で思考し、自分の価値観や倫理観に沿って生き、手当たり次第に行動し、自分の言葉で話す人。
おそらく“不器用な人間”とされるような人の発想や発言が、今後、価値あるものになってくるのではないだろうか?
“正解らしきもの”に支配された世界で一番輝ける人材は、実は不器用で社会にうまく馴染めない愛すべき“ポンコツ人間”なのかもしれない。
今日はここまで。