吾輩はポンコツである。
いきなりだが、自分は
“好々爺”
という言葉が好きだ。
あまり見慣れない言葉かもしれないが、読み方は「こうこうや」が正解だ。
「好きだ」とか言ってみたものの、普段からこの言葉を意識しているわけでもなく、使ったこともない。
昨日、何気なくYouTubeの動画を見ているときにこの言葉が出てきて、
「そういえばこの“好々爺”って、自分がなりたい姿のおじいちゃん像そのものだな」
と、改めて感じて
「ブログのネタにしよー!」
と、頭の中のメモ帳に急遽書き込んだのだった。
その際、もうひとつぐらい「この言葉も好き」と感じた言葉をメモったつもりだったのだが、こちらに関しては全く思い出せない。
所詮ポンコツの“脳内メモ帳”など、ひとつ覚えていただけでもラッキー✌️といった具合なので仕方がない。
こういうときにちゃんとしたメモ帳を持っているちゃんとした人を尊敬する。(自分はメモ帳を持っていない。メモするとしたらスマホで。)
おっと、また話が脱線してしまった。
話を“好々爺”に戻そう。
ちなみに、“好々爺”とは「善良で優しい老人」という意味の言葉だ。
この漢字の組み合わせが示すように、人類はそのようなおじいちゃんのことを昔から好んでいたのだろう。
しかも、ただの「好き」にもうひとつ「好き」をプラスしてしまうほどの勢いである。
裏を返せば、それぐらい「好好爺」の存在は珍しいものだったのかもしれないし、現代でも「好好爺」と呼べるような高齢者はそんなに多くはないだろう。
目指しても簡単になれるものではない存在だからこそ、目指したいものである。
何気ない会話の中で
「あなたは将来どんな人間になりたいですか」
と問われることがあったとき
「私は好好爺になりたいです」
と応えることができたら、なかなか渋くはないだろうか?
なので、ワンピースの主人公のように堂々と宣言しようと思う。
「好好爺」に俺はなる‼️!!
ちなみにだが、「好好爺」があるならば、それに対をなす「好好婆」という言葉もありそうなものだが、ざっと調べてみたところどうやらそのような言葉は存在しないらしいよ。
今日はここまで。