吾輩はポンコツである。
昨日から急に思い出したように再開したことがある。
それは「瞑想」だ。
こちらの本を読んでいると、「瞑想」を繰り返し勧めてくるのである👇
「これも何かの啓示か?!」と直感的にポンコツレーダーが反応したので、半年ぶりぐらいやに「瞑想」を再開することにした。
近年、「マインドフルネス」などと呼ばれ海外でも注目されているが、「無料でできる面白そうなこと」であれば大抵試して見たくなるのがポンコツの性分なのである。
この瞑想は「静かな時間」と「座るスペース」さえあれば、貧乏人でも気軽に始められるところが魅力のひとつだ。
それでいて、世界のエリートも実践する“高尚な趣味”として認知されており、「自分、瞑想してます!」というだけで「こいつ!さてはデキるやつか?!」と他人に思わせることができる(可能性がある)数少ない趣味のひとつだろう。
そう。自分のようなポンコツ人間にとっては瞑想は「ブラフ」になり得るのである。
まあ、真のポンコツ人間からしてみると、自分を大きく見せるブラフなど端から必要なのだが、では、なぜポンコツの自分が瞑想をするのかというと、その答えはひとつ!
「なんか“修行”みたいでかっこいいから!」
である!
そうなのだ。自分のような健全なアラフォー男子は皆間違いなく少年時代に『ドラゴンボール』の影響を受けて育った人間なのだ。
ドラゴンボールといえば派手な戦闘に目が行きがちだが、男心をくすぐるのは戦闘までの“プロセス”であり、それが“修行”なのだ。
修行をすることで、強くなり
修行をすることで、新しい必殺技を覚え
修行をすることで、一度負けた相手にも勝てるようになる。
ドラゴンボールの魅力的なキャラクターたちが、こぞって修行に取り組んでいる姿を見ていた少年時代のポンコツは
「ワォ!シュギョウ イズ ワンダフル!!」
と目を輝かせていた。
この世代の人間は誰しもが
頑張れば空も飛べる(舞空術)と思って飛ぶ練習をしていたし、
「筋斗雲」を呼び続けたらいつか現れると思っていたし、
「かめはめ波」を出す練習をし続けていた。
自分に「元気玉」が出せないのは周りの人たちが「気」を分けてくれないからだ、と友達同士で「もっと気を分けろ!」とケンカしていたものだ。
高校時代の友達もこのシーンに憧れて
リュックサックに石を目一杯詰め込んで修行していたと語っていた。
(そのせいもあってか、彼は足がかなり速かった!)
ちなみに自分の生涯の目標である「面白くて正直で元気な人間でいること」という、この素晴らしい目標のモデルの1人はドラゴンボールに出てくる「亀仙人」なのである。
亀仙人の教えは「よく動き、よく学び、よく遊び、よく食べて、よく休む」というもので、「人生を面白おかしく張り切って過ごせ」と、大人になった今こそ沁みるものがある。
話はかなり逸れてしまったが、大人になったポンコツ少年は今でも亀仙人の教えを忠実に守り、面白おかしく「瞑想」という“修行”に勤しむのであ〜る!
今日はここまで。