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読書記録:吾輩は猫である

吾輩はポンコツである。



今回は最近読んだ本、『吾輩は猫である』の読書記録を残しておく。

 

しかし、この冒頭のフレーズは有名だが、内容を「読んだことがある」という人は案外少ないのではないだろうか。
 
そういう自分も今まで読んだことが無かったので、せっかくなので今回読んでみることにした。
 
夏目漱石」作品は、なんとなく“難しそう”なイメージがある。
しかし、この『吾輩は猫である』に関しては、猫が書く「ブログ」や「エッセイ」という感じなので、案外気軽に読むことができた。
 
ただ、日本語で書かれているとはいえ、現代ではあまり使われない言い回しなどが多数出てくるので、「落語」を聞いている(読んでいる)感覚に近かった。
出てくるキャラクターも軽妙な語り口だったりするので、ますます落語感を醸し出している。
 
ちなみに、Wikipedia情報によると、この『吾輩は猫である』という作品は夏目漱石の作家としてのデビュー作なのだそうだ。
また、当時は「書き言葉」と「話し言葉」が別々で使われており、夏目漱石らの活躍によって「言文一致体」が完成したとされている。
 
内容は、今から100年以上前に書かれたものであるため、女性を卑下する部分などが多々出てくるため、逆に一周回って新鮮な気がする。
 
猫の飼い主の家には様々なクセのあるキャラクター(美学者や哲学者、理学士(大学院生?)など)が出入りするのだが、そこで話されている内容などからなんとなく当時の時間の流れの“ゆったり感”が伝わってくる。
もちろん現代のようにスマホなどがあるわけでもなく、些細なニュースが当時の人たちにとっては「面白い一大事」として喜ばれていることも興味深い。
 
そういうこともあってか、なんとなく現代よりも物質的には「豊ではない」ものの、全体的に「不安が少ない」生活を送っているような印象を受ける。
「幸福」という状態を「不安が少ない状態」と仮定した場合、この小説の時代の人々は現代よりもある意味幸福な生活を送っていたのかもしれない。
 
一番驚いたのはこの小説の終わりかたで、「吾輩は猫である」の「猫」は最終的にテーブルに残っていたビールを飲んでみて酔っ払って溺れ死ぬのである。
現代の「エッセイ」ではこのような終わりかたは無いと思うので、こういったところも新鮮だった。(幸いなことに猫の死に際も軽妙に書かれており、悲壮感は漂ってこない。)
 
とりあえず、読んでみることで夏目漱石自身にも興味が湧いてくる作品だったので、今後他の夏目作品も食わず嫌いせずに挑戦してみようと思う。