吾輩はポンコツである。
クリスマスが近づいてきたことで、「今年も終わりに近づいてきたなぁ」としみじみ感じている今日この頃。
クリスマスはやはり大人になってもワクワクするというか、なんとなく楽しい気分にさせてくれるイベントだ。
とはいえ、お買い物に行けばクリスマスの飾り付けが目に入ってくるし、クリスマスに関する音楽が常に耳に入ってくるという状況は、冷静に考えるとある種の洗脳に近い環境だなと思う。
いつ頃から日本国民にとってクリスマスが身近なものになったのか気になったので調べてみた。
- 日本におけるクリスマスの歴史は、16世紀半ばに遡る。
- 1552年(天文21年)、山口県でイエズス会の宣教師たちが日本人信徒を招いて、キリストの降誕祭のミサを行ったことが最初とされている。
- しかし、江戸時代に入るとキリスト教が禁教となり、クリスマスの習慣も一時途絶えた。
- 明治時代に再びクリスマス文化が日本に紹介され、徐々に一般社会にも広がり始める。特に1900年(明治33年)には、横浜で創業した明治屋が銀座に出店し、クリスマス向けの商品を販売したことが、クリスマス普及の一因となった。
- また、1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御し、その後12月25日が「大正天皇祭」として祝日となったことも、クリスマスの習慣がさらに普及する契機となった。
- 第二次世界大戦後、特に1950年代以降、経済成長とともにデパートのクリスマス商戦が活発化し、クリスマスケーキやイルミネーションなど、日本独自のクリスマス文化が形成された。これらの要因により、クリスマスは日本の年中行事として定着していくこととなる。
ふむふむ。要するにクリスマスが今のように一般庶民にとっても当たり前のものになってきたのは戦後ということだから、まぁだいたい50年ぐらいかけて今の状況になってきたことがわかる。
日本人だからこそクリスマスが持つ宗教的な意味合いを意識することもなく、そのおかげでクリスマスが日本文化にスムーズに浸透していく要因になったのだろう。
また、日本が戦後の経済成長を経験したことでどっぷりと“資本主義”という概念が浸透し、世のお父さんお母さんをサンタクロースにさせる文化が生まれていったのではないだろうか。
「サンタクロースが来ない家=資本主義の負け組」
実際に現代の日本においてクリスマスを祝わない家庭は、金銭的な問題を抱えている家庭か、あるいは特別な宗教に属している家庭などに限られてくるだろう。
そう考えると、資本主義というものが持つ宗教じみた強制性というか、暗黙の空気を作り出す力のようなものに空恐ろしさを感じてしまう。
とはいえ、先ほども述べたが多くの日本人にとってクリスマスは宗教的な意味合いを持たないので、今後もキリスト教国のクリスマスとは異なった日本独自の時代に沿った祝い方に変化していくのだろう。
一昔前の日本人にとっては「クリスマスを祝う=資本主義における成功」という憧れのようなものがあったのだと思うが、現代においてはそのような意気込みをクリスマスに抱く家庭は少ないだろう。
ある意味クリスマスを祝う文化が日本に浸透しきったと言える状態だと思うので、逆にここからは衰退していくのかもしれない。
日本人が子どもの成長を祝う文化として「こどもの日」や「ひな祭り」などがあるが、現代ではこのような日に“兜飾り”や“鯉のぼり”を掲げたり“雛人形”を飾る文化も変化してきている。
昔は鯉のぼりを飾る家庭があちこちにあったように思うが、最近では幼稚園や保育園などの施設か、田舎をドライブしているときにときたま大きな鯉のぼりを見かけるぐらいである。
「あそこに鯉のぼりがあるよ!見て見て!」と子どもたちが鯉のぼりを見逃さないように急いで教えてやらねばならない程度に衰退してきているように感じる。
雛人形や兜飾りも、大きなものを飾るのではなくコンパクトなものを飾るようになったり、そもそも飾らなかったりする。(うちはこどもの日は何も飾ったことがない。と思う。)
このような変化は、ライフスタイルの変化や、核家族が一般的になってきたことも大きな要因だと思うが、一番大きな要因は「用意することがめんどくさい」からではないだろうか。
また、「飾りを用意する手間やコスト」に対して、「子どもたちの喜ぶリアクション」という投資対効果の小ささも衰退を加速させているのだと思う。
その点、クリスマスに関しては、子どもが「欲しいものを手に入れられる」という夢のような日なので、プレゼントを用意するコストよりも子どもたちの喜ぶリアクションが大きくなりやすいので、大人と子ども双方にとっての需要が保たれているイベントとなっているのだ。
我が家においてもプレゼントこそ用意したが(我が家にサンタクロースは来ず、“お父サンタ”が欲しいものをあげるようになっている)、「なんとなく面倒だから」という理由で、今年はクリスマスの飾り付けはしていない。
我が家のクリスマスにおいても、少しずつ「めんどくさい」部分が省略され、変化しつつあるのだ。
とまぁ、ここまで「クリスマス」について「資本主義が〜」とか「核家族が〜」とか変に難しいことを書いてきてしまったが、吾輩が本当に書きたかったことはこんなことではないのだ。
吾輩が本当に書きたかったこととは
年賀状、めんどくさいからやめたら、年末めっちゃ楽になったど〜!
という、ただそれだけを言いたかったのである。
例年はクリスマスに近づいてくると「そろそろ年賀状書かんといけん・・・」となるのだが、一昨年ぐらいから「年賀状を卒業します!」と一方的に宣言し、きっぱり辞めたのだ。
ただでさえ年末のクソ忙しいときになんでこんなもん送らんといけんのんや!
今は繋がりたい人とはメールやラインで容易に近況を報告し合える時代じゃて!
というわけで、年賀状書かなくてよくてルンルンしている吾輩なのであった。
今日はここまで。