吾輩はポンコツである。
今回は「ペットを飼うこと」というお題に沿って書いていこうと思う。
現在、我が家のペットと呼べる生き物として“日本トカゲ”3匹が暮らしている。
今年のゴールデンウィークに、長男が公園で1匹捕まえて
「どうしても飼いたい!」
というので、エサ代もスペースもそこまで必要なさそうなので我が家に迎え入れることにした。
トカゲが生活できるように飼育環境を整えてやり、エサである「ミールワーム」の気持ち悪さにも徐々に慣れてきた頃、長男の友達(トカゲ捕りの名人)が公園で捕まえてきた新しいトカゲが新たに1匹追加された。
これが犬や猫だった場合、ある日突然ペットが増えようものなら大変困惑してしまうだろうが、1匹増えようがあまり影響がないのがトカゲのメリットだ。
むしろ感情が読みづらい、いつもクールな表情を崩さないトカゲたちが寄り添っている様子を見ると、なんだか癒されたりもする。
そんな悠長なことを言っていると、トカゲ捕り名人が更にもう1匹捕獲して追加していたので、「これ以上はやめてください」と丁寧にお断りしておいた。
少しづつトカゲに愛着が湧いてくると、与えるエサも「ミールワーム」だけじゃ可哀想だと思うようになり、生きた「コオロギ」を買い与えるようになった。
飛び跳ねるコオロギをトカゲが追いかける様子を見ていると、
「おっ!野生の感を取り戻してきたな!」
などと、家族5人でトカゲの飼育ケースを囲んで食事の様子を「あーでもない」「こーでもない」と言いながら凝視するのもなかなか面白いのである。
コオロギとしては生存をかけたバトルロワイヤルという過酷な環境に置かれているので、少し申し訳ない気がするのは事実だ。
夜な夜な、コオロギの
「リリリ・・・。リリリ・・・。」
と響き渡る哀愁漂う鳴き声に心が掻き乱されそうになるが、そのコオロギの“悲痛な叫び”も3日もすると私たち家族を深い眠りに誘うBGMと化してしまうのだから、人間はつくづく薄情な生き物だと思う。
そんなコオロギであるが、先日、トカゲのエサであるはずの「ミールワーム」をコオロギが食べているところを発見し、家族で目を丸くして驚いた。
トカゲに食べられるだけの悲しい運命だと思っていたコオロギだが、ちゃんと“最後の晩餐”にありつけていたのだ。
むしろ、すばしこいコオロギであれば、トカゲと一緒に1週間以上生き延び続ける猛者もいるので、野生にいるよりかは贅沢な食事が出来ているのではないだろうか。
そう考えると、コオロギも「飼育している」と言えるのかもしれない。
なので、冒頭に「我が家のペット」として“日本トカゲ3匹”を紹介したが、改めてそこに
“コオロギ(常時5〜10匹程度)”
も付け加えておかなければなるまい。
話は変わるが、“生き物”を飼育することで、子どもたちにもいろいろと影響しているように感じる。
「世話をしなければ死んでしまう」
という対象があることで、責任感のようなものが芽生えるのだろう。
エサが足りているか確認をしたり、飼育ケースが汚れてきたら掃除をしたりと、今まで「世話をされる」立場だった子どもたちが積極的に生き物の世話をしている様子を観察するのも面白い。
末っ子に関しては生き物全般が苦手だったが、今では「トカゲ」が唯一触れる生き物となった。
これも彼にとっては大きな進歩なのである。
もちろん、吾輩にも変化が生じてきた。
初めは「気持ち悪い」と思っていた「ミールワーム」だが、徐々になんとも思わなくなってくる。
むしろ最近では「バター炒めにしたら美味しそう」なんて思うようになってきているぐらいなので、ついつい出来心で“つまみ食い”などしてしまわないように気をつけたい。
今日はここまで。
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